Research

はじめに:中赤外領域の超高速光科学 

 フェムト秒レーザーやピコ秒レーザーは時間幅が極めて短い光パルスを発生させる高速性に優れるレーザーです.
このようなレーザーは,モード同期法によって周波数間にコヒーレンスを宿したレーザーであることから,モード同期レーザーともよばれます.
超短パルスレーザーの代表的な特徴として,数フェムト秒の非常に短い時間幅によってエネルギーが一瞬の時間領域に局在するため,テラワットオーダーの非常に高いピークパワーを実現できることや,光周波数領域においてはテラヘルツオーダーの広帯域なレーザー周波数スペクトルを示すこと,ラジオ周波数帯の周波数特性としてメガヘルツからギガヘルツの高い繰返し周波数を実現できることが挙げられます.
モード同期レーザーの活用によって,多光子励起を利用した顕微分光法や物理現象のフェムト秒時間分解観測,テラビット超光速通信,高速点火核融合,高次高調波発生やアト秒パルス発生,超高精度な光周波数計測や光干渉トモグラフィーが実現するなど,近年の基礎研究・工学の最前線では欠かせないツールとなっています.

 私は,中赤外領域のフェムト秒レーザーを中心とした研究・開発を進めています.
分子の振動は個々の換算質量や結合定数を反映した共鳴周波数を主に中赤外領域(波長 2 – 20 µm)において示すため,中赤外領域は古くから「分子の指紋領域」と呼ばれる重要な波長域です.
分子の検出・同定を目的として,熱光源を用いた分光計測が古くから盛んに行われ,環境計測や医療計測に応用されています.
レーザー光の優れた特性により,高感度分子検出や遠隔ガス検知,分子性材料の顕微計測が可能にされてきました.
近年では,中赤外域のフェムト秒パルスレーザーの優れた周波数間コヒーレンスを巧みに活用することで,周波数コム分光法やバックグラウンドフリー分光法,時間分解分光法などの先進的な振動分光計測に関する研究が盛んに行われています.

 また,気体を用いた高次高調波発生においては理論的・実験的にカットオフ側が認識され始め,より短波長の高調波発生には長波長レーザーで駆動することが有効であることが明らかになっています.
固体高次高調波発生や光電界電子放出においては,多光子励起による試料破壊を避けつつ強電場を印加できるという実験的側面からも,中赤外領域のフェムト秒パルスレーザーの有用性が報告されています.
その他にも,中赤外フェムト秒パルスレーザーは,樹脂材料や半導体材料の光加工,長波長光通信への応用などが考案されています.
以上で述べたように,分子振動分光をはじめとする様々な分野において,中赤外フェムト秒パルスレーザーの注目度が急速に高まっています.

参考文献

三沢 和彦・芦原 聡: 「 工学系のためのレーザー物理入門」,講談社サイエンティフィク(2020)

平尾 一之 編・邱 建栄 編: 「 フェムト秒テクノロジー基礎と応用」,化学同人(2006)

大森 賢治 編著・石井 順久・石川 顕一・板谷 治郎・香月 浩之・森下 亨・渡部 俊太郎: 「 アト秒科学」,化学同人(2015)

古川行夫: 「 赤外分光法」,講談社サイエンティフィク(2018)

岡﨑 大樹,芦原 聡, “Cr:ZnSを用いた中赤外モード同期レーザーの開発”,
レーザー研究 「新材料による中赤外レーザー」,vol. 49, No.7, pp.390-395 (2021).

Cr:ZnSを用いた波長 2.3 µm帯におけるフェムト秒レーザーシステムの開発 (東大生研 芦原研究室)

 波長変換を伴わずに中赤外域で直接レーザー発振するモード同期レーザーは,システムの簡易さや安定性,エネルギー利用効率にも優れ,高繰返しパルス列の実現も可能です.
また,さらなる赤方周波数変換を必要とした場合においても,Manley-Rowe の法則の観点や,大きな非線形感受率をもつ材料を用いることができるため,高効率な周波数変換が可能になります.

 本研究で注目したレーザー結晶であるCr:ZnS は希土類イオン系のレーザー材料と比較して,遷移金属イオンに由来した極めて広い蛍光を中赤外域において示します.
また,固体レーザー材料であるために高出力な超短パルス発振へのポテンシャルが高く,鉄イオン系材料と比較しても室温環境でレーザー発振するため,安定な動作が期待できます.

 本研究では,東京大学工学系研究科の丸山・千足研究室,アールト大学のEsko Kauppinen教授,Canatuとの共同研究の下で, 中赤外域に共鳴吸収を示す直径の太い単層カーボンナノチューブ(Single-walled carbon nanotubes, SWCNT)の線形吸収特性,及び,可飽和吸収特性の計測を行い, 適切な直径の SWCNT が中赤外域において優れた可飽和吸収体となることを実証しました.
また,SWCNTをレーザー共振器内に組み込むことで,中心波長 2.3 µm,時間幅 30 fs の超短パルス発振に成功し,パルス発振のセルフスタートや,Cr:ZnSに特有の雑音抑制機構を発見しました.

参考文献

    Daiki Okazaki, Ikki Morichika, Hayato Arai, Esko I. Kauppinen, Qiang Zhang, Anton Anisimov, Illka Varjos, Shohei Chiashi, Shigeo Maruyama, and Satoshi Ashihara, “Ultrafast saturable absorption of large-diameter single-walled carbon nanotubes for passive mode-locking in the mid-infrared”,
    Optics Express, Vol.28, No.14, pp.19997-20006 (2020).

    Daiki Okazaki, Hayato Arai, Anton Anisimov, Esko I. Kauppinen, Shohei Chiashi, Shigeo Maruyama, Norihito Saito, and Satoshi Ashihara,
    “Self-starting mode-locked Cr:ZnS laser using single-walled carbon nanotubes with resonant absorption at 2.4 um”,
    Optics Letters, Vol.44, No.7, pp.1750-1753 (2019).

    Tobias Kugel, Daiki Okazaki, Ko Arai, and Satoshi Ashihara, “Direct electric-field reconstruction of few-cycle mid-infrared pulses in the nanojoule energy range”, Applied Optics, Vol. 61, No.4, pp. 1076-1081 (2022).

    Xiangbao Bu, Daiki Okazaki, and Satoshi Ashihara,
    “Inherent intensity noise suppression in a mode-locked polycrystalline Cr:ZnS oscillator”, Optics Express, Vol. 30, No.6, pp. 8517-8525 (2022).

局所的なスペクトル構造を有する広帯域コヒーレント光源の開発 (東大生研 芦原研究室)

 モード同期レーザー共振器中に狭線幅の吸収が存在すると,その共鳴周波数において分子吸収の位相部分を反映した分散型のスペクトル変調が生じることが知られており, Cr:ZnSレーザーでは大気中の水蒸気由来の吸収によって,共振器内における狭線幅スペクトル変調が顕著にみられます.

 本研究では,この現象とレーザー共振器内におけるスペクトル変遷を応用して,意図的にガスセルを挿入した光共振器内の特定の位置において狭線幅のスペクトルピーク構造を重畳することに成功しました.
また,スペクトルの共振器内変遷を考慮したモード同期発振の数値シミュレーションを行い, 自己位相変調の周波数依存性によって,レーザースペクトルの裾で狭線幅ピーク構造の形成が可能になることを解明しました.

 実現された光源は,分子の共鳴周波数においてスペクトル密度を向上した広帯域レーザー光源であることから, 特定分子種を強励起することや,分子振動を利用した中赤外域の新しい光周波数標準としての応用展開が期待できます.

参考文献

Daiki Okazaki, Wenqing Song, Ikki Morichika, and Satoshi Ashihara,
“Mode-locked laser oscillation with spectral peaks at molecular rovibrational transition lines”, Optics Letters, Vol.47, No.23, pp.6077-6080 (2022).

準備中 (京大化研 時田研究室)